memorial box

大人になってもいつまでも忘れたくないよ…!

“少女”と“女” 〜太宰治『女生徒』を読んで〜

 

 

 

 その機会は突然だった。大学で最も仲の良い友達と本屋さんでふらふらしていたときだった。ふいに私は一冊の本に目を惹かれた。太宰治の『女生徒』だ。有名すぎる著者だが、著者名に惹かれたのではない。その本の形状と表紙の絵である。

女生徒(乙女の本棚1) | 立東舎

 「乙女の本棚」シリーズだ。不朽の名作を素敵なイラストレーターさんの手により絵本仕立てにし、小説としても画集としても楽しめる贅沢なシリーズだそうだ。本をよく読む方なら既にご存知かもしれないが、高校くらいから本を読む時間が大幅に減少した私にとって、これは初めて知ったものであり、その衝撃は大きかった。表紙の今井キラさんと言えばなんといってもAngelic Pretty。ロリータファッションはしないが(一度くらいは着てみたいと思っている)見るのは大好きな私は中学生の頃から彼女の絵を知っていて、ずっと好きなイラストレーターさんなだけに感情が爆発した。

「今井キラさんの絵だ!!!私この人の絵、めちゃめちゃ好きなの!!!!!!!!」

本屋で大声を出すんじゃねぇ(あまり静かすぎない本屋さんでよかった)。

 

 ここまでだとただ私が本屋で突然発狂しただけの話で終わるのだが(なんせ絵が好きと言えども興味のない話にお金を払えないし、ハードカバーで綺麗な作りのこのシリーズは一冊約2000円もした)、驚くのはこのあとの友達の発言だった。

「そうなの!? 私みずきちゃんにこの本絶対読んで欲しいから買ってあげるよ!! イラスト好きなら読めるでしょ!?待ってて!!」

彼女はそう言って光の速さでこの『女生徒』をお買い上げして私にプレゼントしてしまったのだ(一部表現を盛っています)。

 友達が突然2000円の本をプレゼントしてしまう金銭感覚ガバガバな人間だと思われると悲しいので彼女(とその友達の私)のために補足すると、彼女は元々よく本を読む人で、子供時代はわからないが大学生の今は私と比べ物にならないくらい読んでいる。その中で文豪の作品もかなり読んでおり、この『女生徒』は女子にはみんな読んで欲しいだとか最近話していた。一方私は本を読むのは好きだが文豪は一切読まない。それはただの食わず嫌いというか、読みづらそうという固定概念でしかないのだが、今まで無理やり押し付けてくることのなかった彼女(優しい)からしたら今回の一件は私に『女生徒』を読ませる大チャンスであり、買ってくれたという訳だ。

 

 こうして私は『女生徒』を手に入れたのである。買ってもらったその日はビニールも破かず、綺麗なままで眺めていたいなぁなどと思いながら眠りについたのだが、いやいやせっかく買ってもらったのだから早く読んで感想を送るのが人として大切、と思い直し翌日に読了した。さっそく彼女に送った感想がこれ(送ったLINEのコピペ)。

女生徒読みました!!!!!
女と人生の行きづらさについて考えて辛くなったけどとてもいい作品。一生大事にしますありがとう。

薄い。せっかく買ってもらったのにもっとなんかないんか……。ということでこのブログを書いている次第です。もっと掘り下げた感想を伝えたい…だけどLINEで長々と文章のやり取りをするのが苦手……そうだブログにしよう!というやつ。書き上げてしまいさえすればURLを送るだけで伝えられるし、もしかしたら他に『女生徒』を読んだ人と感想を共有できるかもしれない!天才!

 もし『女生徒』を読んだことがなくてもこのブログを読むにあたってはそれほど問題はないと思います(もちろんネタバレだめな人は今すぐ閉じてください)。私のブログがきっかけで読んでもらえたら嬉しいからよかったらこのまま読んでください。

ということで書きます。本題スタート!

 

 

 

太宰治『女生徒』から考える

“少女”と“女”

 

 感想を書く、といっても主人公はとめどなく思考を巡らせており、それに対して全ての感想を書くのはまぁ無理である。その結果、この作品の主題であると考えられる、“少女”と“女”について書いていくことにした。

 私がこの作品の中で最も心に残ったセリフがこれだった。

「いっそこのまま、少女のままで死にたくなる」

わかるんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜。でも私は主人公よりワガママだから「少女のままで生きていたかった」と思う。

 私は、

 

気づいたときには“女”に対する拒絶を抱えていた。

  小学校4年生のとき、学校で女の子だけ集められて月経の話をされた。私は直感的に「自分にはしばらく関係ないな」と思った。1ヶ月に1回も血が出てくるなんてありえない…私は華奢だから関係ない…赤ちゃん欲しくなるまで必要ないんだから来ないでほしい…そういった思いも込めての「関係ない」だった。そう思うことによって本気で一生来ないような気持ちになっていたし、林間学校にも修学旅行にも(中学校の修学旅行でさえ)生理用品は持っていかなかった。きてしまったら“女”になる。私はそうはなりたくない。その一心だった。実際初潮がきたのは平均で見てもかなり遅いと考えられる中学3年だったが、絶望を感じて泣きじゃくった記憶がある。赤飯を炊くなんていう風習(本当に現実にあるものなのかわからないけど)は本気で信じられないと今でも思う。

 小学校高学年になり中学生になり、自分の体に変化が出てきたのも死ぬほど嫌だった。ガリガリだった体に肉がつき始め、食事に気をつけても太る。新体操をしていたこともあり、余計に嫌に感じた。また、周りはもっと早いスピードで目に見えて“女”の体になっていき、体育の着替えのときに見えてしまうのが嫌だった。

 中学や高校で友達が生理痛で辛そうにしているのを心配そうな顔をしながら内心で苛立っていた。普段は私と一緒に“女の子”をしている友達たちが“女”だと気づかせてほしくなかった。

 水泳の授業を生理で休む友達を見るのも嫌だった。先ほど初潮の時期を書いたが中学のときはほんの数回しかなく、高校では部活がハードだったせいかこちらも卒業まで数回しかこなかったため、自分は関係ないという顔で水泳の授業をほとんど皆出席した。泳ぐのが苦手なため水泳の授業は嫌いだったが、生理を理由に休むのは負けだと思っていた。

 大学で出会った友達(本を買ってくれたのとは別の人)に「みずきちゃんって生理きてなさそう」と言われたときには「さすがにそれはないよ〜」と言いながら心の中でガッツポーズした。

 胸の膨らみが少ないことに安心する日もある。可愛いデザインの下着は大好きだが、自分の胸が大きくない(というかむしろ小さい)ことに「まだ大人じゃない」という安心感を抱くのだ。「小さくても気にしてない」というと負け惜しみにしか取られない世の中が嫌だ。みんながみんなそうだと思わないでほしい。

なお、黙っていると、小さい時の白さと違うように思われて来る。いたたまらない。肉体が、自分の気持ちと関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。めきめきと、おとなになってしまう自分を、どうすることもできなく、悲しい。なりゆきにまかせて、じっとして、自分の大人になって行くのを見ているより仕方がないのだろうか。いつまでも、お人気みたいなからだでいたい。(『女生徒』より)

 

 

 でも“女”への拒絶とは反対に、“女の子らしい”ものは昔から大好きだった。以下は私が20歳の誕生日を迎えた日に書き上げたブログからの引用である。

ピンク色やリボンやレースなど“かわいい”ものが昔から大好きだった。小学校中学年くらいのときに背伸びし始める周りを見て、メゾピアノではなくポンポネットの福袋を買ってもらったり、水色の自転車を買ってもらったりしたけれど、本心からそれらを大好きになることができなかった自分がいて、幼いながらに自分がピンクから卒業できないことを知った。中学生のときに初めて自分のお小遣いで買ったTRALALAのワンピースは今でも大切にしている(サイズが変わらない)。無理して背伸びせずに好きな物を身にまとって生きるのは幸せすぎる。身につけ続けていると周りも“みずきちゃんだから”と謎の理由で許してくれる。あと5年は今の服装を貫きたいし、趣味自体はそれ以降も貫いて生きたい。

交響曲はまだ序章 - memorial boxより

さすがにもうTRALALAのワンピースは着れなくなってしまった(着すぎてボロボロになっているため)し、今となっては水色も大好きだが、根本はこの文章と変わってないなと思う。昔から女の子らしいフリフリが大好きだし、これからも好きなことはおそらく変わらない。21歳の一般人だけど髪をくるくるのツインテールにして堂々と街を歩くし、バイト先でお客さんに「高校生?」と聞かれると死ぬほど喜ぶ。上の文章で「あと5年は」なんて言っているけど本当は一生老いたくないし一生可愛い服を着て生きていきたい。私がほしい服は高くてポンポン買えるものでもないのに本当に着たいときにはなかなか手に入らず、就職してある程度余裕が出る頃には買ったところで数年しか着られないなんておかしい。でもこのまま今のスタイルを何年も何年も続けたところでただの痛いおばさんになるだけで、女生徒が電車で隣り合わせた厚化粧のおばさんのように思われてしまうのだろう。いやまぁ私の化粧は薄い方なんだけど。

 なんで少女は“少女”のままでいられないのだろう。私は“女”になりたくなかっただけなのに………。

 

 

 そして『女生徒』では、“女”の行動についても書かれている。

 彼女の一日の後半部分を占める今井田夫妻と母親のシーンだ。

お母さん、そんなにしてまで、こんな今井田なんかの御機嫌とることは、ないんだ。お客さんと対しているときのお母さんは、お母さんじゃない。ただの弱い女だ。

 彼女は母親が来客に無理に媚びるのが嫌で、そしてそれが同時に「女の嫌なところ」として表現されている。いや、厳密には「女の嫌なところ」ではなく「女がそうしないとならないことが嫌」という感じかもしれない。

お父さんがいないからって、そんなに私たちをばかにするんだったら、いますぐ帰ってください。よっぽど今井田に、そう言ってやろうと思った。それでも私は、やっぱり弱くて、良夫さんにハムを切ってあげたり、奥さんにお漬物とってあげたり奉仕をするのだ。

 母親に対してしてほしくないと思ったことを自分でもしてしまう、彼女はそんな自分のことすら、大人になってきてしまった自分のことすら嫌になっているのだと思う。

 

 私はまだ社会に出ていないのでTwitterで連日見かけるような女性差別,女性軽視のような経験はほとんどないが、ふとしたときに「女だからって舐められてるな」と思うことがあるし、弟が食器を自分で洗わないことを母に指摘したときの「○○(弟の名前)は男の子だから」を忘れることはできない。誰も「女性はこうしなきゃいけない」なんて言っている人はそこまで多くないと思うけど、潜在意識の中に“ある”のだと思う。私はフェミニストみたいな話はできないので行動についてはここまでにするが、彼女の生きづらさ、私をこれから待っているであろう生きづらさ、世の中の女性が感じる生きづらさについて思いを巡らせ、少し落ち込んだ。

 『女生徒』の彼女も、私も、少女のまま死ぬか少女のまま生きていくかしか、本当の意味で幸せにはなれないのかもしれないと思った。でもそんなことはできなくて、彼女も葛藤を抱えたままあの世界で生きていくし、私もいつかはツインテールやふわふわのお洋服も卒業して大人の振る舞いをして、本当の意味で大人の女にならなければいけない。いくら考えても、いくら嘆いても、これはどうしようもないこと。どうしようもないことをこうして浮き立たせたのがこの小説だったのではないかと私は思った。どうしても書きたかったのはここまで。

 

 

 

 

 

 この本は残酷だが、同時に美しい。私は『女生徒』の彼女が紡ぐ言葉に、見る世界に、想像力に、夢中になり、いくつもお気に入りのページを作った。本当に素敵なので、以下でいくつか紹介する。

 

 

 きのう縫い上げた新しい下着を着る。胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍して置いた。上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にもわからない。得意である。

ここ、この本の中でいちばん好きとまで言える場面かもしれない。見えないオシャレ、気づかれないオシャレというものは私も大好きで、誰にも気づいてもらえないだろうけどまつ毛が上手く上がったときや、たまに塗るネイルが綺麗に出来たときなど、この感じに近い気がする。

 先生は、私の下着に、薔薇の花の刺繍のあることさえ、知らない。

ここも大好きな一文だ。相手がわかるはずもないのに「あなたはわからないでしょうね」と見下しちゃうの、わかる。

 

次。

 雨が降らないとは思うけど、それでも、きのうお母さんから、もらったよき雨傘どうしても持って歩きたくて、そいつを携帯。このアンブレラは、お母さんが、昔、娘さん時代に使ったもの。面白い傘を見つけて、私は、少し得意。こんな傘を持って、パリイの下町を歩きたい。きっと、いまの戦争が終った頃、こんな、夢を持ったような古風のアンブレラが流行するだろう。この傘には、ボンネット風の帽子が、きっと似合う。ピンクの裾の長い、衿の大きく開いた着物に、黒い絹レエスで編んだ長い手袋をして、大きな鍔の広い帽子には、美しい紫のすみれをつける。そうして新緑の頃にパリイのレストランに昼食をしに行く。もの憂そうに強く頬杖して、外を通る人の流れを見ていると、誰かが、そっと私の肩を叩く。急に音楽、薔薇のワルツ。ああ、おかしい、おかしい。現実は、この古ぼけた奇態な、柄のひょろ長い雨傘一本。自分が、みじめで可哀想。

 ここは読みながら私まで夢見心地になってしまった。決して素晴らしく綺麗な傘ではないのに、彼女の想像力で素敵なアンブレラだと思わせてくれるところがとても気に入った。今井キラさんの素敵な挿絵に彼女の想像した全てが描かれていて(薔薇のワルツまでも だ)、とりわけ素敵だと思った。しかしそれらは想像でしかなくて、でもそこも含めて素敵だ。

 あと私(に限らず多くの人はそうだと思う)は新しいものを持って家を出た日はとりわけご機嫌になるため、女生徒もそんな気持ちだったのかなと想像ができたことが嬉しかった。

 

次。

 綺麗な女らしい風呂敷。綺麗だから、結ぶのが惜しい。こうして坐って、膝の上にのせて、何度もそっと見てみる。撫でる。電車の中の皆の人にも見てもらいたいけど、誰も見ない。

 自分が素敵なものを持っているとき、周りに見て欲しいと思う。でも周りは実際のところ私に興味なんてないんだよね。私もカバンに付けたメルちゃん(※ウィッシュミーメル(サンリオキャラクター))のマスコットやまりあちゃん(※金森まりあ(「キラッとプリ☆チャン」のキャラクター))のアクキーを撫でたり見つめたりすることがあるんだけど、まぁ誰も見てないと思う。

 

 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。

 短い一節だが、たしかにそうだなと目からウロコが落ちた文章。人間以外は花を愛でることもたしかにない。少し鰐淵エモコ(アプリゲーム「Tokyo7thシスターズ」のキャラクター)を思い出した。彼女は毒舌だが花を愛でる心を持っており、根はとても慈愛に満ちている。

 

 夕焼けの空は綺麗です。そうして、夕靄は、ピンク色。夕日の光が靄の中に溶けて、にじんで、そのために靄がこんなに、やわらかいピンク色になったのでしょう。そのピンクの靄がゆらゆら流れて、木立の間にもぐっていったり、路の上を歩いたり、草原を撫でたり、そうして、私のからだを、ふんわり包んでしまいます。私の髪の毛一本一本まで、ピンクの光は、そっと幽かにてらして、そうしてやわらかく撫でてくれます。それよりも、この空は、美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。私は、いま神様を信じます。これは、この空の色は、なんという色なのかしら。薔薇。火事。虹。天使の翼。大伽藍。いいえ、そんなんじゃない。もっと、もっと神々しい。

 傘のシーンと同じベクトルで好きなんだけど、同じくらい、いやこっちの方が好きかなと思う。彼女の本で培った語彙力もそうだけれど、私は個人的に情景描写が綺麗だと惹かれてしまうので、ここはめちゃくちゃに好きな場面だ。私が好きな声優、内田彩さんの楽曲『ピンク・マゼンダ』を体感しているような表現にも惹かれた。作詞の只野菜摘さん、これ読んだことあるのかなぁ(すぐ関連付けるオタクやめろ)。

 次はその直後のシーン。

「みんなを愛したい。」と涙が出そうなくらい思いました。じっと空を見ていると、だんだん空が変ってゆくのです。だんだん青味がかってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。

 美しく生きたいと思います。

 少し彼女が弱った精神のときに綺麗なものを見たからかもしれないけれど、彼女自身の内面がこれほど綺麗に表現された箇所は多分ないと思い、心に残った。読んだことのある方ならわかると思うが、彼女は2匹いる犬の片方だけ可愛がったり、自分や同級生,電車で隣り合わせたおばさんに嫌悪を抱いたり、あまり“いい子”ではなさそうで、でも綺麗なものを見てこんな風に思えるので本当のところではいい子なんだと思えた。なんかこれ上手く人に伝わらなさそう…。でも私だって嫌いなものや苦手なものはたくさんあって、何かに意地悪したくなるときもあるけれど、綺麗なものを見たら世界に感謝するし、みんなに優しくなれたらなって思うこともある。多分こういうことなんだと思う。多分。

 

 

きょうは頬紅も、つけないのに、こんなに頬がぱっと赤くて、それに、唇も小さく赤く光って、可愛い。眼鏡をはずして、そっと笑ってみる。眼が、とってもいい。青く青く、澄んでいる。美しい夕空を、ながいこと見つめたから、こんなにいい目になったのかしら。しめたものだ。

 ここは急に自分の顔を褒めだしたのでちょっと面白かった。可愛いなぁ。この直前にある、顔は自分の感情と関係なく個別、みたいなところは理解出来なくて少し残念。顔は嬉しいときの方が可愛いよ、きっと。私もメイクし終わった自分の顔見て「今日は可愛いな」と思うことがあるから、引用部分は、うんうんと頷きながら読んだ。それにしてもそうだ、目って綺麗なものを見ると綺麗になる気がする。私は最近この本を読んだし、その他にはCCさくらを見たりアイカツスターズ!を見たりヴァイオレット・エヴァーガーデンを見たりしているから、今の私の目、綺麗なのだろうか。

 

 厳密にはまだまだ素敵な表現は沢山あるが、ここで取り上げるのは以上にしておく。私はこの本を手に入れてからと言うものの、毎晩寝る前にお気に入りのページを開いて幸せな気持ちを得てから眠りにつくことに成功している。恐らく本の主題とも違うし、このブログの主題とも違うのだが、私は『女生徒』のこのような部分も大切にしたいと思ったので上記に挙げた。残酷で綺麗。『女生徒』を簡単に説明するならこれがぴったりだなと思う。この本に傷付けられたのにこの本に夢中になっている。魔性って感じがする。

 


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 ふいにこの世界観に彼女を閉じ込めて幸せに暮らしてほしいなぁと思いながら本棚の一角を崩して着飾ってみた。綺麗にできて満足である。ただこれも満足して写真を撮ったらすぐ崩してしまった。そんなもんなんだよ。ね。

 

 だんだんまとめ方がわからなくなってズルズルと延ばしてしまいそうだ。ここら辺でこの感想文を締めようと思う。私はこの本を読んで“少女”と“女”について考えて悲しくなり、美しくて素敵な世界を感じて夢中になった。最初に友達に送った感想の通り、一生大切にしたい一冊になった。願わくば多くの人、女性に限らず多くの人に読んで欲しい。『女生徒』を読んだことはないが私のブログを読んでくれた方(よっぽど私に興味がおありの方かな、とても嬉しいです)は、ぜひ『女生徒』を読んで欲しい。そのときはぜひ感想を聞かせてください。

 

 

 

おやすみなさい。

またどこかでお目にかかれますよう。

 

 

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Kindle(無料です)(青空文庫でも読めますよ)

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乙女の本棚(私が読んだのと同じものです)

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